二月堂春日大社は何度も行っているので今回は、前を通り過ぎて二月堂の方へ行くことにしました。私の母は、私が子供のころ良くこんなことを言っていました。 「冬は寒いけど、関西ではお水とりが終わると春が来るのよ。」とか、 「奈良ではお坊さんが一番寒い時期に修行をしてくれるのよ。」とか、 「寒いのに、お坊さんがお水取りをしてくれるから春が来るのよ。」などと冬になれば何度も聞いた言葉でした。 それで、子供のころ私は本当に、こんな寒い時に冷たい水の中で修行をしてくださるお坊さんのおかげで春が来るんだと思っていました。 ところが、奈良から大阪に引っ越した時は同じように思っていたのですが、和歌山へ引っ越した時に、なんか変だなと思ったのです。 和歌山では3月になれば、結構温かくなりお水取りの頃にはもうすっかり春になっているのです。 そうか、和歌山は関西ではないのだ。 そして、やっぱりお坊さんは関西の人のために寒い冬にお水取りをしてくれているのだ。 そう思ったのでした。 ところで、奈良東大寺二月堂のお水取りは、21世紀になって2001年で1,250回目を越えたそうです。 新たな世紀に回を重ね、奈良時代の開始以来一度も休んでいない。お水取りのおたいまつは、毎年3月1日から14日まで行われます。 二月堂と若狭との関係にこんな伝説があります。 行法の時、「神名帳」というのを読み上げ、全国八百万の神々を勧請して、行法の無事完了を祈る。 ところが若狭の遠敷明神は釣が大好きで、その日も魚釣に熱中していて、ようやく釣をやめて二月堂へ駈けつけた時には、すでに行法が終りかけていた。 その行法のあまりのすばらしさに、明神は感激して、遅参を恥じて、おわびのしるしに、「今後は閼伽水をずっと献じましょう」と、仏前で誓った。 と、そのとたん、突如として、二月堂の下の盤石を破って、白と黒の鵜が飛び立ち、その跡から甘泉が湧き出した。 それを囲ったのが、今の二月堂の閼伽井で、「若狭井」と呼ばれている由来だという。 若狭の遠敷明神前の川は、その時から水が涸れたので音無川と呼ぶようになったといわれている。 修二会の儀式「お水取り」の御香水(おこうずい)を汲む井戸がある建物である東大寺二月堂閼伽井屋(若狭井屋)↓のです。 じつは、来週若狭へ行く予定になっています。 お水取りの二月堂、お水送りの若狭。 今年は両方へ行ってみたいと思っているのです。 二月堂の上にあがってみました。 とても素晴らしい景色です。 正面のから見ると、東大寺の屋根が見えます。 さて、このあと二月堂を降りて東大寺まで歩きました。 728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まりです。 東大寺といえば、大仏様ですが今回は時間がなかったので前を通り過ぎただけでした。 まあ、大仏様には何度もお会いしているので、また今度時間があるときゆっくりと来ることにして、このあと氷室神社の方へ向かいました。 ジャンル別一覧
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